世界は称賛に値する

日記を書きます

アメトーーク カメラかじってる芸人

▼▼写真は手数が重要だ──沢山撮って選別せよ、って説明が役立ったかな。目線を改められた。以前にもおそらく聞いた記憶がある解説なのだけど、説明や訓話ってものは、複数回、かつ、異なる形態や視点で聞いたほうが、役に立つものである、なんて思っているので、異なる発言者が異なる雰囲気で同じ趣旨の「やりかた」を語ってくれてるのを見かけると、認識を厚くできそうで嬉しいな、って思ったりする。思ったりした。
▼▼謙虚初心者や過信初心者、中級者、説教上級者や達観上級者、における、振る舞いやら心根のありかた、理想形、しかたなさ、などは、ほんと要検討だ、って思った。
▼▼実際に観てて印象深かったのは、初心者がにわか知識や鵜呑み知識で高性能すぎるカメラを買ってしまうことと、慣れてきた人が少し囓った人なら思いつける小細工で陳腐な構図を選んでしまうこと、で、なぜ陥りがちなのか、避けられるのか──通っておいたほうがむしろよいのではないか、なぜ駄目出しを受けるのか、あたりを考えてしまった。
▼▼単語的には、身の丈と身の程、について考えた。
▼▼誰だって最初はミスして学ぶんだから上級者が嘲笑うのが駄目なんだよー、っていうのは、思うようで思わないのだよなー。問題意識は近いんだけど、目線は少しズレる。
▼▼嘲笑うのは駄目でもよいけど嘲笑われないのが既定になってる空間は好きじゃない雰囲気がある。下手打って嘲笑われるかも的不安は有益で、実際の嘲笑は無益か有害、って判断がありそうだ。が、実際に嘲笑うのは禁止だけど嘲笑いはなしって明示しちゃったら駄目、っていう状況を考えてる気がするわけで、理想論で無茶な話には見える。