世界は称賛に値する

日記を書きます

日常を楽しむ術

▼▼日常を楽しむ術を模索してる。っていうかなんか考えちゃう。以前はうまくできてたのに最近はできてないぜ!って認識し始めて、まあ若干誤解の匂いもするんだけど、現状は変に思い込んでて、解決したい雰囲気で盛り上がってしまっている、と言える。
▼▼脳内雰囲気では整理できてるっぽく認識しちゃってるのに、実際は整理できてないようなので、整理し直そう。途中で処理ミスしてるのにうまくミス認識できなくてプロセスが変な風に回避して進んじゃってて結局グダグダになる型の挙動だ。たまにある。

▼一日を見つめること。──前提1。起点。
▼一日の出来事の派手さ地味さ稀有さ。──飽きる日と飽きない日。
▼一日が派手であれ地味であれ稀有であれ、一日は要素を持つ。
▼一日が持つ要素の全体量。──派手さ地味さ稀有さで変動する? する前提?
▼一日を見つめて要素をピックアップすること。──前提2
▼人間の認識機構が持つ気分的ランダム性1。──見える側面。目の話。
▼人間の認識機構が持つ気分的ランダム性2。──掴める範囲。手の話1かな。
▼人間の認識機構が一回でできるピックアップの量。──掴める量。手の話2かな。

▼▼実際的な現状では「日々同じような出来事が続いてて地味でつまらないよー、っていう心境に気づいて打破したくなった」ってのが発端なので、地味な日を相手取っても楽しめるのではないか、っていう「戦いかた」を考えてしまってはいる。たとえ地味でも要素の量は多いはずだ、見逃すな、ランダム性を使って楽しめ、という姿勢で考えてる。
▼▼地味な日々を派手な日々にする、って解決法もあるんじゃないか……? っていうのが思い浮かんでて、戸惑ってる感じなのかな。▼▼地味な日々を派手にする技術、っていうのは、習得したら楽しそうじゃんと思える。ただし、難易度と費用が読めなくて不安は残る。▼▼地味な日々を楽しめる技術、も、習得したくなる。繊細丁寧な眼差しで地味なものが潜める楽しさを見出せる目は、間違いなく欲しい。