遠出

▼▼関係者および上司の話を聞く機会があった。やはり上司の話は抽象的なことが多いかな。現場で働いてないのだから当然だ、し、むしろ、というかそもそも、現場より一段階二段階三段階、抽象性が高い場所で判断することが上司の職務である、というのはあるわけだが、抽象的なまま下に伝えられても伝わりづらい、ということもあるはずで、指示出し技術の善し悪しも問えるは問えるだろう。考えてよい要素だと思う。
▼▼演説なのだよな。演説なら抽象的なのは妥当なのかもだ。扇動目的なら抽象的なほうがむしろよいのでは、とも考えられる。範囲を広く取れる、って言うのかな。みんな頑張ろうで、みんなって誰、頑張ろうって何、と突っ込むのは筋が違う。
▼▼扇動なら扇動で、別の問題提起というか、別のうまさ、があるだろうし、問えるだろうし。そしてそれがあったかは不明なところだけど、同一視や混同はしないほうがいい。
▼▼抽象的な判断であることはよいにせよ、そもそも、抽象的判断を行なった時の「現場からの情報」が正確なものか、っていうのは思うし、そして、情報が不正確で前提が不正確になってると判断ミスしやすくはなるよな、みたいなのも思った。抽象化の前段階でそもそも劣化してないかどうか、は、危ぶんでいてよい。
▼▼現場から正確な情報があがってくる構造になってるか、っていうのは、傾向的には怪しいしな。正確な情報を伝えないほうがメリットがある状況、は、下っ端や枝葉的にはわりと発生しやすく、しかも、上下関係の中での人間感情の動きでは、なおのことそうなりやすい印象だ。
▼▼サボってても許される状況、あるいは、サボりたいと思ってしまうような状況で、実際サボってて、サボってないかどうかを報告だけするなら、サボってないですと言うだろう。できてるかどうか、あたりでも似た感じになる。できてるかどうか微妙なところ、っていう判断が曖昧になる状況もあるしな……。できてるかどうか微妙なところで、細部まで見られないなら、できてます、って報告する可能性は高くなる。
▼▼サボってても許される状況は管理の甘さの問題なのだろうけど、管理の甘さ、ってのも抽象的すぎるか……。
▼▼サボりたいと思ってしまうような状況は、そんな余裕ないよ、と、そんなことしても無駄じゃん……? という思いを抱く場面あたりに多くありそうだ。