世界は称賛に値する

日記を書きます

今冬初めて見た雪

▼▼窓の外に白い粒が舞うのが見えた。天気予報の雪は聞いていた。想像していた以上に粒がおおきくて少し驚いた。世界を覆うのかなり早くて、朝を過ぎて午前中に舞い始めた雪が、午後にはもうだいぶ降り積もっていた。深夜を跨がない雪が街を覆う光景を初めて見たかもしれない、なんてことを考える。誇張表現になる可能性も強く感じてるけど、誇張のつもりでの発言ではない。雪景色はいつも寝起きで見てきたように思える。
▼▼雨天だと隙間時間が増える率はかなり高くて、雪も同類で想像していたのだけど、実際は微妙だった。普段通り、という言葉も脳裡に浮かんだ。まあ雪より雨のほうが足止め効果が高いのだろう。確かに濡れるか濡れないかで言えば、雪のほうが「濡れない」印象は強めだ。行動しやすく思える。降り始めならなおさらだろう。なんて考える暇がある雰囲気で忙しくて、悪天候の印象は薄く、けれど時が経って粒が小さくなって、雪が雨粒に近づいてきたら、次第に客足は鈍り始めた。相談とか雑談とかしつつ活動を続けた。
▼▼活動中に一回出かける。荒れた雪を踏み締めながら静かに歩いた。慎重に雪上を歩く行為自体は比較的好きかもとは遭遇のたびに考えている。技術を要する印象が強くて、技術を見通せないかなーと思いながら歩く、的な姿勢が楽しめるのだった。
▼▼栄養補給と空腹を意識して、近所で昼食を取ろうと思った。以前は栄養補給を念頭に置く場面が多かったのだけど、最近は、妙に、空腹による思考支配が強めである。飢餓意識が目立つ。あんまり好きじゃないなー、って思ってしまうけど、制御も調整もやりかたが不明なので、まあよしとする。選択肢を思い浮かべてみて、迷って、結果、ラーメンにしよう、と決めた。時間や場所や調子が合わなくて、諦める場面が最近ちょっと多かったからだ。日々着実に欲求が強まっている印象もあって、発散する好機であろう、と思ったのだった。雪降る寒気とラーメンは相性がよいなー、と錯覚できるよなー、なんて妄言を思ったりもした。実際に食べ終わったあとに、別に相性は普通だ、と思った。
▼▼頭や肩の雪を落として暖簾をくぐる。暖簾をくぐるは修辞だ。雰囲気と手癖で言葉を置いてみて、置いてから、けどほんとうに暖簾なんてあったかなー?と考えた。実際的な記憶を参照しての記述ではない。けどまああったかなー。基本的にはある印象だ。
▼▼軽く迷って食券を買った。食事関連において「軽く」以上迷ったことはほとんどないかもだ。決断の問題っていうよりは、迷うべき/迷わなくてよい、あたりの問題かなーと思う。迷おうが迷うまいが結局おおむね同じ印象が残る、と経験的に理解できてる場面が数種類あって、食事関連は「迷おうが迷うまいが同じだ」と思えている場面の、一つ、なのだった。美味は好きだけど美味重視ではないと言える、かなー。扱いがまあ軽い。
▼▼端の席に座る。来店は二回目だ。単純な塩ラーメンを選んだ。初めての利用時には醤油ラーメンを食べてみて、二度目は別の種類を選ぶ、という頼みかたを、ラーメン屋では頻繁にしている。行動原理的に何らかの狙いがあるんだろう、とは思う。狙いについての言語化も当然可能だろうけど、非常に理解しやすい姿の単純で素朴な言語化が可能っぽく見えていて、つまり、判断ミスしそうであり、嫌だ。誤解も誤認も混ぜてしまって、至極わかりやすい言葉に流されそう、なのである。最初に醤油ラーメンを食べて、次に違う種類を食べる、理由を、複雑怪奇に語りたいな、なんて考えている。ひねくれだ。