世界は称賛に値する

日記を書きます

地味な姿で骨組み理解してきたので装飾つけるの怖い

▼▼単文主体でブツ切りを基本とし、短く短く文章を書くことで、文章が持つ意味を「一掴み」で握れる分量にして、見通しよくして、繋がりだけを意識しやすくし、外れないように次段の文章を置いていく、的な訓練で、論理的整合性を意識できるようにした。理解訓練を行なった。▼▼のが完全に癖になってて。▼▼口調的なものに関しても、淡々と繋がってゆく、地味な型が染みついた、っていうのがある。
▼▼地道かつ地味に一個一個ジグソーパズルを繋いでいく切り口でジグソーパズルを理解してきたので、最後の枠になるまわりのところから造っていくとラク、とか、適当に複数の塊を造りながら完成させていくとよい、とか、言われてもなー、技術的に可能なのはわかるけどじぶんが把握しながらやれるのかなー、って比喩できる? ような? わりと違うか? ▼▼レゴを、一個一個ズレないように接続するやりかたで学んできたら、巧くズラしたり特殊パーツ使ってたりしてる、派手な技術を見せられて、素敵だけど製作中の状況を把握しきれなくなっちゃうよなー、って思ってる雰囲気? かな? ▼▼絵描きとプラモの比喩も思いついたけど──具体的な線だけで描いていた絵、と、本体パーツだけを組んで頑張ってたプラモ、という比喩を思いついたけど、まあもう少し考える。