世界は称賛に値する

日記を書きます

アメトーーク! 女の子苦手芸人

▼▼山手線ゲームの何がオモシロイのかぜんぜんワカラナイ、って説話があった。変なリズムに合わせて知識を言ってくだけの何が楽しいんだ? という指摘である。けど、物理現象だけ採り上げて楽しいと思えるものなんてむしろ何もないよなー、と思った。
▼▼同じく楽しさがワカラナイ、という意見を聞いて、話してて、遊び自体がどうこうではなくて、相手に対する視線──信頼感の問題では? って話になって、今考えてる。信頼が楽しさを担保しうる、のかな? 信頼がないと楽しめなかったりする?
▼▼信頼を担保に楽しめる人と、不要な人がいる気はしてる。身勝手に楽しめる人?
▼▼囲碁将棋、テレビゲーム、執筆活動に演劇、ジェットコースター、読書、鬼ごっこにかくれんぼ缶蹴り、サッカーと野球とドッジボール、あたりが、楽しい気持ちの類例に浮かんだ。まるで一緒くたにできないものなー。楽しさを支える統一見解があるかなー?