文章一行分くらいしか脳内には残らない、っていう前提でよい

▼▼胸中の気持ち的に「オレは○○って××だと思ってるよなー」って最初診断して、違うか? ってふと思って、いやあぜんぜん○○は××だと思ってじゃないじゃん、って続けて思う、的な「理解を言語化する過程の勘違いと修正」が「数秒の間に巡って直されて終了してる」場面が時折あって、最初の「○○って××だと思ってるよなー」って理解の時は何を見てたんだ、って改めて考えていた。▼▼思考時におけるメモリはほんとうに少なくて、目の前の小さな机の上に載せられる若干量しか活用できない──認識できてないぜ、ってことを、改めて判断の前提にしておかねばなと思った。正直言って、今でも「おおきく沢山見えてる」つもりにはなってる、のだろう。文章読解的状況で喩えるなら、実際は一行前しか見えてない、憶えてない、くらいの理解でよさそうに思えるな。で、二行以上前は印象だけ躰で感じて「使って」るだけ、だ。▼▼メモリ増設の夢はあるなー。