隣の人に何かを言う気になれる、ので、例えば「聞こえるだろ」は信じてる

▼▼隣の友人に何か言葉をかける、っていうシンプルな行動を見るだけで──該当する行動を観察して分析してみるだけで、いわゆる「果たしてぼくらは抽象的世界要素XXを信じるに値するのか問題」において懐疑の対象になるような諸々の信念は、まあ、おおむね見つけ出せるし見受けられるだろうな、と思った。▼▼実際的に「隣の友人に声をかけているぼく」が「いかに沢山の信念をすでに持ってしまっているか」である。
▼▼意味、言葉、論理、存在、心、他者、友情、信頼とかとかだ。哲学的容疑者たち。