哲学を好きと思えることの根源と、別の根源もあるのかどうか

▼▼言葉遊びというか俗説「恋は下心、愛は真心」ですら結構好きだったりする。比較的新鮮な切り口で概念整理や言葉整理してくれてたら頭に通すだけで快感だ。哲学楽しめる根源がこのあたりかなって思った。少なくともここを通して自分は楽しんでる。▼▼ならば、異なる経路を通っての好きや楽しいもあるのかなー、と考えていた。
▼▼考えてみて、異常にシミュレートが難しい種目かもなー、と思った。劇的に楽しめてしまっているものに対して、別の道を通りつつ同じように楽しめてる人の心を想像するのは、非常に難しく思える。素直に楽しめちゃってるせいで引っ掛かりを見出せないというかな。楽しめない側の人の心理を想像するほうが、まだ光明が見出せるかと思った。