世界は称賛に値する

日記を書きます

欣喜雀躍

▼▼最近はしゃいでないなー、って突如閃いて気づいた瞬間が数年前に一回あって、思いのほか衝撃がおおきくて──びっくりしてなんてことだって思って、でもって以後、最近はしゃいでないなーって、頻繁に考えるようになってしまった。習慣づいてしまった。
▼▼欣喜雀躍、陽気に浮かれて、有頂天で上機嫌、小躍りかつ調子乗っちゃおうぜ、的な雰囲気で、楽しんでいきましょうよー的な指針を、適切かつ適度に取り入れられないものかなー、っていう観点を、定期的に意識し監査する癖がついてしまった。のだった。
▼▼言葉にすると「無理して楽しんでる/無理して楽しませてる」みたいになるな。
▼▼けど実際は違うのだった。実際は無理矢理も気負いもほぼなくて、至極真っ当真摯に話しかけて、耳を傾けてもらって、おお楽しそうだねやってみようかなんて話しながら一緒に散策してるだけ、なんて程度なのだった。なんて比喩が可能かなと思った。
▼▼単なる思いつきと気づきだった最初の「最近はしゃいでないなー……」っていう認識が、思いのほか以後の道のりに影響を与えていて──楽しくしてくれていて、正直だいぶびっくりしている、って話であった。びっくりしながら嬉しく思ってる。
▼▼で、最近再び思った。はしゃいでないなーって思った。ので記録してみた。
▼▼最近またはしゃげてないなーってふと思って、どうしようかな、って考え直しながら試行錯誤していて、試しに「世界スゲエなー!」って驚いて笑っている姿の精神や心理を想像してみて、巧いこと具現化できないものかな……? って考えてみたりしていた。
▼▼いわゆる逆算思考的なアプローチであって、対世界的な感激や感動の話に逆算思考を持ってくるのって無粋だったりするかも……、なんていう浅薄の匂いがする疑問を抱いてしまったりもしたのだけど、結局は逆算が打算計算と近縁だってだけであって、つまりは固定観念的な判断で情動系問題と数値的解決の相性の悪さを問題視してるだけか、って状況で理解できたので、違和を撤回しちゃえ、って思った。情動系問題は数値でいくらかは解決できるもんだ的な世界観を、むしろ好んでる。
▼▼世界スゲエ……!と感動しているおのれの胸中をまず想像して、観察して、達するまでの道のりを──達成要素や達成条件を、洗い出してゆく。楽しめるものを探す。同じような雰囲気で「人間スゲエ」も「知性スゲエ」も好きなので平行して探してみる。▼▼てなわけで遊園地的な雰囲気で遊んできた。若干乗り物的に酔ったけどよしとする。▼▼映画館と美術館に行きたくなってる傾向があるな。だからこそ違うところを新規開拓せねばなるまい、とか考えている。既知と習慣は乗り越えてゆきたいっていうのはある。