世界は称賛に値する

日記を書きます

かえりぎわ

両手フリック更新を目指しているのだった。忘れそうだった。毎日書いてみるのだ。勤務の帰り際に書いている。帰宅して食事し、友人とSkypeで少し話す、という予定がある。読書は引き続き『言葉と脳と心』である。既存の理解を更新するような思惑で失語症について書かれている。なんというか、この執筆行動だと明らかに散漫であるな、と実感した。一言書いても、そこから次のところに続かない。発散するか、連想的に近場に目を向けてみる、程度で収束してしまう。慣れれば変わるだろう、と信じている期待過剰的な判断者がいるわけだけど、かなりあやしいぞ、と問い詰めておこう。それでも続けてしまってるあたり、変わらず期待はしてしまってるのだった。