思考停止で世界が腐るのと、空気や水が澱んだりジャガイモ腐ったりするの

▼▼思考停止してると最後の最後で誰でも失敗する、濁る、歪む、腐る。のかなあ、とは考えてる。▼▼静止しているもの停滞しているものは、非常に、あっさり、澱んで壊死してしまうぜ、っていうような型の、耳障りの良さ、比喩としてのわかりやすさ、実際性と実効性の高さ、心地好さ、などによって、思考停止のばかー、と思っているところがあるのだけど、なおなお精緻な認識がありそうだよなー、思考の停滞による朽ち果て、と、比喩対象になるような諸々の朽ち果て、は、思ってるほど同型なんかなー、と最近考える。
▼▼経済や市場が停滞して駄目になったり、流れなくなった風や水が濁っていったり、血流の巡りが悪くて細胞が死滅したり、誰もいなくなった家が短期間で埃にまみれたり、錆びたり腐ったり、類推や比喩できるものがありすぎて、思考停止にまで「そういうの」を見ちゃうのだけど、実際思考停止って「そういうの」なのかな……? と感じるのだ。同じように見てしまうと見逃してしまう要素がありそうだよなー、と想像してみている。試行錯誤の余地があるのでは? って思って楽しくなっちゃってる、だけかもだ。
▼▼思考停止も意外とアリである、って話なのかな? いや違うなー。衰退と腐敗的な比喩じゃあ持ってきかたが違う、まるで勘違いだよ、って話でもなさそうだ。
▼▼思考停止は駄目駄目だ、と判断してはいる。思考停止の駄目さは実感できている。わかりやすく駄目っぽく、実経験も多い。思考停止が駄目要素を沢山持っているのは間違いがなく、駄目要素が破綻を誘いやすいことだって間違いがない。のだけども、思考停止が持つような「駄目要素」や「破綻しやすくなるであろう構造」を、精確に理解しようするなら、安直で安易で手抜きな、あまりにわかりやすすぎる、比喩、で「たいしたことなく理解してしまえる」と思い込んでいると、絶妙微妙な誤解が混じりやすくなって、精確に計測できなくなっちゃうんじゃないかなー、なんていう想像を、最近は少し、してしまうのだった。▼▼思考停止の駄目要素の理解ってそっちじゃない気がするけど……、っていうかなー。▼▼あるいはもう「比喩っていう型」を持ち出してしまうことがすでに勘違いの始まりになってるんじゃないか、っていうのも考える。