世界は称賛に値する

日記を書きます

記憶検索のキーワードに構造を

▼▼昨日が最も思い出しやすい、という印象がある。意外と今日より思い出しやすいと感じる。昨日と一昨日の差は明白だ。けどまあ一昨日もぎりぎり手が届く場所にある印象は残るかな。もう三日前以上は無理そうだ。▼▼なんて、日記を回想として書いていると時折思う。▼▼日記を回想として書く、というフレーズを、不意に思い浮かべてみて実際に書いてみて、回想じゃない日記かー、なるほどー、と、日記という範疇における変種や変奏について考えてみたく思った。あとで憶えてたら、というか、あとで思いつけたら、少し考えよう。思考開始の時点で偶然「思いつけ」ないと、なぜか熱量足らなくなるのだよなー。まあ改良点だとは判断してる。▼▼単語の選択を意識しておいてなお「偶然」って言葉を選んじゃうか……、と思った。でも書いた。否定的な意味づけではない。
▼▼以前より客観描写増やしてるなあ。こういうのはまあ時期的なものがあるようには思う。現状に合わせて最適化される、と聞こえよく言っておこうかな。だってまあ、確かに最適化かもしれないのだし。▼▼記憶検索の話をする時は、昨日は何やったっけ……、一昨日は何があったっけ……、という言葉をキーにして──トリガーにして、記憶検索という行動を、想像というか「捏造」しちゃってばかりいる。のだけど、回想しながら日記を記述する、なんて状況以外で、記憶検索の条件欄にそんなの置くことは、正直あんまりないように思う。時系列を検索条件に置くことって意外とないよなー、と思うのだ。
▼▼検索条件の置きかたの巧みさが「記憶検索の巧みさ」に繋がるんじゃないかな、というようなことを考え始めてる。まあ「頻繁に見かける結論」に近づいてるのは、まあ喜んでよいところなのだろう。▼▼記憶検索においては、なんていうか「構造」をキーにして記憶辿れる人が強いのでは? という雰囲気を感じているのだけど……。▼▼というかそもそも発想の強さってそういうものか……。▼▼記憶検索の話はやっぱり好きだな。