文脈の新鮮さ、見えてる具合

 最初に準備していた文章は消した。文章の準備はあまり好きじゃないのだ。好きじゃないようだ、と判断するようになった。意識がぼんやりと「嫌がる」ことが多く見受けられたからだ。文章を準備する、ってことの定義は難しいけれど、とりあえず、数日前に一言二言文章を書いておいて、その続きをあとで書く、書いてみよう、としてみると、なんかこう、全部消して、書き直したくなるのだ。拒否反応が出てしまう。ほぼ同じことですら書き直したくなる。「いま選んだ言葉」を、なぜか置きたくなる、のだ。
 思いつきから時間が経ってしまうと、自分のものではない、というような感じで、論理の流れ、発想の流れ、文脈を、認識し直し始めてしまうのかなー。後追いしたくない、みたいな気持ちになるのではないか、と仮説を立ててみた。
 文脈が脳内に新鮮な感じで活きてないと、それの続きや、補完のようなことを、したくならないぜ、ってことだろうか。けど、「なんでそう思うのか」は全然わからないなあ。楽しくない……楽しくない、のかな? 正しさとか美しさ、ではなさそうだ。見えてない感じでたらたらもたもたやらされるとつまらない、何をやっているか、何を目指してやっているのか、目的や目標を伝えられているほうが、楽しめる、楽しいと思える、っていう性向の、支流に位置するものだろうか。