好きだ

 好きだ、ってことをもっといろいろ書こうと思っていた。書けてないかな、と思う。いや、書けてるのではないかな、伝わっているのではないかな、というのも、多少楽観的に思う。ひどく楽天的に思う。達観と諦念と笑顔で、まあ飄々と、笑いながら思う。
 いやでも好きだよ世界。うん、ほんとうに好きだよってよく思っている。幸せなモノになったもんだ、という感じは、おおきくひろく世界を見ていると思うわけだけど(つまんなそうにしている人もやっぱり見えちゃうしね……。もちろん凹んでいる人の実際の心境はどこまでいったって謎なわけで、わかりやすい判断は持てないし持ちたくないのだけど、なんにしろ、自分のそういう判断に、嘲笑や馬鹿にしたりしている意味合いを持たせたくはない、っていうか、下に見ている感じにはしたくないぜと滅茶苦茶積極的に思っていて、ただ、そういう心境を見せることが、また、いろいろあるとは思うので、実現は難しそうかな、って思ったりもする。でも、実現させてくれる経験を持つ人もいるだろうと思っているので、書く。書くことにはしている。そういう感じもわりと好きだ。なんかまあ、伝わることもある、伝わらせてくれる人もいる、という夢のありかたが)、まあ、幸運とか僥倖の話にしてしまいそうなので、したくないので、やめる。頑張って幸せなものになったんだ、っていうのも思えなくはないしね。
 でもまあ、運もあった。あったはずである。それも認めたい。うまいこと認めておきたいと思う。ここで一度「認めたい」を思った文章を書いておくことが、アリだ、って思った。浅はか、浅慮、な言葉を書いたか、というのも思った。でも、言葉を、判断を、区切って、単純であるがゆえの強い響き、みたいなものを持たせておかないと、自分にすら届きにくくことがあって、それを避けてしまう、感じは、ときどきある。ときどき起こる。だから許される、わけじゃない、けどもね。許されるって概念がすでに傲慢だよ、って思う癖があるな。まだまだだ。まだまだいろいろまだまだである。