世界は称賛に値する

日記を書きます

日曜日の始まり

▼▼事柄Aについて考えている、っていう現象について考えている、っていう構造について考えている。っていう状況について考えている。▼▼とかいう「運動要素まで維持した思考」を「思考の対象」に据えようとすると、じたばた暴れて、押さえておけなくて、有耶無耶になりがちである。▼▼という捕縛性能の低さは、鍛錬可能なものだ、って思うようになってきた。▼▼経験から言って、思考の中でもわりと、時間を掛けると、鍛えうるところだ、って思えている。比較的鍛えやすい、とまでは、流石に言えないが、地道に訓練していると、ふわっと、時折、変化が垣間見えたりする。ようだ、って思える。
▼▼っていう思考の動きについて考えている。螺旋を四つ回ると流石に頭くらくらだな。

昨日読ませていただいたもので、憶えておきたい活かしたいと思った言葉の記録です。

→ 「人は、自分の立場を守ろうとする。  自分の立場というもの何かというと、何かしらのシステムと自分との関係だろうとして考える。「自分がその「とあるシステム」を信認している」という表明だ、ということ」

→ 「松井彰彦『高校生からのゲーム理論』ちくまプリマー新書は、凡百のゲーム理論啓蒙書と違って、実際の事例をゲーム理論から分析することをふんだんに行っている。ぼくにはとりわけ、第3章の「市場編」が面白かった。例えば、日本のガソリン販売の規制緩和によって新規参入が促進されなかったにもかかわらず価格崩壊が起きた理由、大志を抱いて羽田ー千歳間の航空運行に参入したエアドゥが結局倒産に追い込まれた理由、日本に老舗が多い理由などなどである。これらの事例はわくわくで読んだ」

→ 「毎日がちょっと前向きになるかもしれない100の言葉  ということで100書いてみました」

→ 「一人称ならば、「私」と書きたい対象との距離があるだけで、ことは容易い。ときに対象は「私」の内側にまで及ぶ。一人称で最も大きく位相が移り変わるのはそのときぐらいのもので、これは割と分かりやすい。  非人称でも、語り手があたかも背後霊のように人物の背後に取り憑いたり、心中を覗き込んだり、あるいは特定の誰に憑依するのでもなく浮遊霊として周囲を漂ったりするイメージを持つと割合しっくりときてやりやすくなった」

→ 「そんなの前兆でもなんでもないですよ、前兆にしちゃだめです、よくわかるけど絶対だめです。なんか言われたらばんばん言い返せばいいんですよ。うるせえ、おまえこそむかつくんだよ、八つ当たりしやがって、てめえに関係ねえだろ、とかって。それが正しいはずなんです。私も高校生のとき、きっとそう言うべきだったんです」

→ 「予測を軸に文章を眺めていくと、文章理解は、文章を介した書き手と読み手の対話だということに気づかされます」