世界は称賛に値する

日記を書きます

酔いが始まる言葉、と、酔いすぎが怖いので避けておこうかな、とか言い始める酔いかたのこと

▼▼関係しようと経路を開いてみせるだけで酔い始めてしまう言葉や概念や行動がありそうで怖いなあ、と考えていた。敬意、恋愛、喜びと哀しみ、懐古、郷愁、世界、工夫、可能性、孤高、覚悟、運命と偶然、権威、言葉、努力、悲劇、あたりが浮かんできた。
▼▼関わろうと、腕を伸ばして掴み取り、胸中に浮かび始めた時点で、ほわほわふわふわし始めてしまう、なんて思えると思う。酔いそうになる。同時に酔いすぎを怖がって、駄目だあ、なんて風にびびってしまって、迷うような状況は、意外と頻繁なのだった。
▼▼酔うことは許容範囲だ、けど、酔いすぎることは許容範囲外で、ひどく駄目そうだと思えてしまっていて、なぜ駄目なの? と問うならば、酔いすぎの結果として、判断基準も判断過程も乱暴で粗野になり、見誤りと判断ミスを呼び寄せそうだからで──なんて経験則が構築できてきているからで──、とはいえ、単純なる酔いと酔いすぎの境界線は非常に曖昧なところだったりもするので、適切な具合で「恐怖」を前提にしておいて、回避行動に専念しておけば、意外と問題ないのかなあ、なんて考えてみる。
▼▼でも嫌だなー。好きじゃない。というより、寂しいよなー。怖がりすぎて最初から回避することしか狙わない、なんて寂しすぎる。結局のところは巧いこと酔いを調整できればいいのだからそうしよう。調整する算段と、覚悟と工夫で、何とかしようって思った。
▼▼なんて雰囲気で、覚悟や工夫って言葉で、酔い始める、のであった。
▼▼特段狙わず実例になったことはなんていうか何とも言えぬなあと思う。
▼▼怖いよう、って謳っておけばよい、という「酔いすぎ」あたりもありそうだなあ、と思った。怖がってみせて、振り分けや比率やつまり工夫を考えてみせて、避けとけばよいのですかねえって迷いを言葉にしてみせて、などなどを、踏まえて「みせる」ことで、酔うだけ酔うて、まあよかろう、って相手や自分に思わせようとしていそうで──なんていうのをものすごくやってそうで、困って唸った。改めて、全然好きじゃない、なー。
▼▼言語化はこれがあるからなあ、と思う。綺麗言語化の恐ろしさである。わ。ほら「恐怖しておこう」の話になった。▼▼無限ループか! ▼▼無限ループだ。飽きるまで。