金曜日の始まり

▼▼類型化のそばに賢明さはあんまりなさそうだが、常なる賢明さを目指し出すと賢明さの類型化を目指してしまいそうなので、この「抜け出せなさ」を、哲学的な問題提起、として論じてみることは、アリかなー、なしかなー。▼▼形骸化可能性をいかに減じ、現在進行性や運動性をいかに確保するか、っていう、回避策の話をしたいわけじゃなくてだ。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務開始は午後2時。けど忙しそうなので早めに向かう。向かおう、って書いてしまおう。強制力を呼び寄せる策は基本的にはかなり好きである。

昨日読んで、記憶に残しておきたいと思った言葉達の記録です。おすすめも兼ねてます。

→ 「きっと昔、人はだれでも一度は、たった一人になって、自分の指の先から、目の前から、爪先のほんのわずか先から「自分に属さない世界」が広がっているという事実に驚嘆したことがあると思うのだ。きっとあると思う。ほんの一瞬の錯覚に過ぎないような感覚であろうとも、人はなにかを認識し、意味として把握しないとなにもわからない動物なのだから、一度は戦慄に近いような感動をおぼえたことがあるはずなのだ」

→ 「話し手:じゃあ、こういうちがいはどうしてできたと思われますか?」

→ 「その描き分けがまあ見事です。巻末に著者の写真が載ってるんですけど、恐らくそれを見る限り、大学デビューとかしたのでなければ、恐らく高校時代どちらかと言えば「上」側にいた人だろうな、と思います。だから「上」側をうまく描くのはまだ分かります。でも、微妙に中間とか、あるいは「下」みたいな人間のこともきっちりと描いていく。それぞれの階層における不文律とか暗黙の了解とか、あるいは言葉にしないメッセージとかちょっとした不満とか、そういうその階層にいた人間でないとなかなかわかりにくいような微妙な感情までうまく掬っていて、よくもまあこれほどいろんな階層の人々をここまで瑞々しく描けるものだなと思いました」

→ 「出てくる人物の内面が語られることはなく、主人公の少年も最初から最後まで「少年」と表記され個性をはく奪されている。「」でくくられない会話は、人間の会話でさえも自然現象の一つ、風景描写の一つとして捉えられていて、人間はこの世界において特別な存在ではなく、暴力も、死も、殺戮も、自然現象の一つなのだというように感じられる。それはなんだかバタフライ効果のように読んでいる時は感じられた。色々な因果関係が複雑に重なり合って、太平洋の向こう側のチョウチョの羽ばたきが地球の反対側で嵐を巻き起こすように、誰かのなんてことない行い、たとえばそう、電話をかけるとか、そんなどうでもいいことが、現在の虐殺に繋がっている。いてもおかしくはない。読み進めるにつれて、「なんてことない話の集合体」の重みがなんてことがない故に重要なのだと知り、最後にはその旅の果てしなさに気が抜けた」

→ 「画が強すぎるんだ。具体的過ぎるんだ。その現実の強度についていけないんだ。うた、そして言葉もそうで、強すぎる。うたをうたってしまう時点ですべての音が伴奏になってしまうというフレーズを見かけた。こえは強すぎる。うたは強すぎる。そして具体的で、切実だ。だからこそおれはうたうことにためらいを感じるのかもしれない。いままで楽器をやってきたのに、と」