思考を「時間」で視る物差し

▼▼思考時間や消費時間で「思考」を「見る」のが苦手だ。思考において「時間と質」の関係を意識してなさすぎ、って言えるかな。軽視しすぎ、とも言える。思考の背景として思考の要因として、時間、という概念を用いる癖が、全然出来ていない。▼▼所詮は数時間掛けたって駄目なものは駄目であり、数秒での閃きであってもよいものはよい、っていう理解と経験則は、確かにあって、思考に掛けた時間と質が常に比例してくれるわけではないのだよなー、とは、現状、判断してしまっているわけだけど、でも、だからって、思考時間と質は「軽視してよい」ほど無関係か関係が薄く、思考時間なんて意識しても結局は無意味である、と断言できるわけではないのだよなあ、って考えている、のだ。思考時間と思考の関係を君は明らかに勘違いしている、なんて思うことがある、のだ。
▼▼状況と経験を、統計的や確率論的に見ることができていない、って言えそうだ。数少ない、と言葉にできる形を状況を、無い、って言葉で、埋めるようにして認識し理解してしまっている──誤魔化して、勘違いしてしまっている。ような印象が強い。▼▼結果として、時折起こりうる例外にはころりと騙されて、頻繁に起こりうる例外にもするりと惑わされて、理解と規則と基準が、狂ってしまっていることがある。あるようである。