土曜日の始まり

▼▼難解な事柄を巧いこと簡略化し削ぎ落として「概略」を見せることでおおよそを理解しやすくする才覚、とか、混乱している状況を脳科学的に理解しやすいような姿に「整理整頓」し直してみせることで理解してもらう才覚、とか、無論あるとは思うけど、幾何学的模様を「同じ形の繰り返し」として見なして情報量を減らすような情報圧縮、みたいな技法が、例えば常に持ち出せるわけじゃあなくて、なんていうか、複雑で入り組んでいる多重構造そのものが極めて重要な位置を占めていたり、混乱した頭で無理矢理視てみせるしかないような「形式化できなさ/単純化できなさ/パターン化できなさ」あたりが至極肝心であったり、膨大な量の情報を脳内の置いてみせることによってのみ発生する感覚や理解こそが核心どころであったり、することだって、間違いなくあるでしょう? なんて思えるので、理解や説明において「わかりやすさ側」に寄せられないような要素だって間違いなくあるだろ、って思う。▼▼巧みな説明って確かにある。あると思う。けど、情報量や情報形質や情報構成についての変換や調整でたいていは為されるから、情報の変貌に対するありかたやありなしは問うておいてもよかろ、って思ったのだった。
▼▼起床時刻は午前9時。勤務開始は午後2時。忙しくなりそうな週末と言える。送別会がある。忙しさ次第で顔を出すか変わると思う。酒宴系の集まりに関しては、最近、好き嫌いで可否を決めなくなってきているな、とふと思った。酒宴があるなら参加するよ、と即断する習慣は消えつつあるのだった。相手によるし場によるし時機による、なんて「判断」するようになった、と言える。指針と判断材料が増えてきたせいだろう。

昨日の読んだ遍歴です。記憶に残しておきたいものとおすすめを兼ねて自分ニュース。

→ 「ぼくにとって六枚が難しいのは、その分量で何をどれくらい書けるのか分かっていないということと、にもかかわらず、六枚ではこのくらいしか書けないだろうという思い込みがある、ということなのだろうか。当然のことだが、ある本を、六枚の原稿を書く分だけ読むということは出来なくて、その本がつまらなければ書くことは一言もないし、面白ければ、六枚などでは収まらない」

→ 「どうもここら辺ってオーフェンの思想と表裏一体というか、「自分が誰かの役に立つ人間だ」ということを認めたら、「超人は世界を救わない」という思想が崩れてしまうんじゃないか、ということを恐れていた気がした。20年経過しても、その葛藤は続いているようだ」

→ 「僕は今まで「音読しない」ことこそ、基本にして最難関なんだと思っていたんだけど、今回この放送を観て「高速でイメージ化する」ことこそが最難関かもなと、ちょっと思ってしまった。正直、音読しないトレーニングっていうのは意識してできると思うんだけど、高速でイメージ化するトレーニングってどうやればいいんだろう? 地道に「音読しない」ことと一緒にやっていかないといけないわけか…」

→ 「だから□□さんには覚えといてもらいたいんですよ。ほんとに編集部のこと、本のこと考えてるやつほど、部数には慎重なんです。うわべだけ味方みたいなこと言って、重版したって手柄を吹聴してるやつが、実は敵なんです。その数少ない味方に向かって嫌み言うなんて、金輪際やめてもらいたいんだ」

→ 「『いぬまるだしっ』が成功してるのは、子供だから人を振り回してることに違和感がないのと、先生と園児に階層があって、それが時々フラット化することで複雑になるので同じ人物でもツッコミの種類にギャップができるってことだと思います。ギャグマンガには物語がない分、設定自体に物語や人間関係を喚起する要素をどれだけ含めるかが問題になってきそうです。その人物がそれを言うことにツッコミ以外での意味が出てくると、グッとこれると思います」