世界は称賛に値する

日記を書きます

火曜日の始まり

▼▼現状世界では不可能、超人や神の領域、と見なされている要素、を、テクノロジーの進化あるいは発見が、無理矢理でもよいから乗り越えて、新たな地平を切り拓いてみせた時、新しいサイエンスフィクションが一つ誕生するのだなー、って認識してみた。▼▼不可能が一つ消えた世界が、明瞭に想像できうるのなら、想像を源として、新たな人間世界が拡げられて、描写できて説明できて、新世界を誕生させうる、なんて言ってもよい。

読ませていただいたことを憶えておきたいので記録として挙げる備忘録的ニュースです。

→ 「ある時ふっと理解できるのだ。わたしはヴォネガットの言葉の意味を、「伊藤計劃記録」を読んでいて理解した。というか、伊藤計劃という生き様を見続けて、ようやく理解した。彼の生き様が、まさにヴォネガットの「創造」を体現していたからだ。しかも、誰よりも過剰に」

→ 「このグレーの画面のなかにこの右側のグリーンが出てくるというのは、まあ、納得できる自然な流れの範疇にある、というように思えた。しかしその左隣にある、ややナマっぽいブルーの出現はいかにも唐突で、しかしその唐突さによって、この絵が成り立った、と感じられるようなものだ。そしてその「この絵が成り立った」瞬間であるはずの「ブルーの侵入」という出来事が、制作のどの段階で起こったことなのかが、画面を見ても予想がつかない。この「予想のつかなさ」は、制作手順の問題だけではなく、作品というフレーム内での時間的な構造(順序と位置)の問題で、それが確定されないことが、この作品全体を時間の外に押し出すかのように感じられる」

→ 「私はふたたびあきれた。それは甘いよ、ぜんぜん甘い、年とったら枯れるなんてそんな都合の良いことがあるわけないでしょ、老人ホームで一人のおばあさんをめぐって複数のおじいさんが恋のさや当てを繰りひろげたりするんだよ、だからちゃんと理解しないとだめ、他人の好意の内実を」

→ 「だいたい「本が売れてない」のは日本だけっていうこの状況をどう受け止めているのか。英語圏では本が売れてるんだから、ネットやケータイのせいじゃないことは明らかだ」

→ 「そのとき、確かにそこにはぼくがいて、弓を構えていて、的に向ってはいるのだけれど、その物理的な位置関係においては確かに狙うということが現れているのだけれど、でもそれだけではない。狙うということは同時に、狙うものと狙われるものという関係を突き抜けて、すべてをひとつのものにするようなものでもある。一致すること。ひとつのリズムになること」