月曜日の始まり

▼▼目標設定の難しさ、っていうよりは、適切な目標設定ってものを考えた時の驚くまでの答えのなさ、っていうものを、正直舐めていたような気がする、なんて、改めて思ってしまうほど、最近は「目標」を重く見ているところがある、かな、って思った。
▼▼目標設定が適切かつ手頃かどうか、で、目指そうと思えるかどうか、とか、挑戦意識が続いてくれるかどうか、とか、が、おおきく変わる。豹変する。結果として、人生さえ変わる。変わりうる、し、変えうる。だろう、って思えてしまう。如何なる目標を如何にして立ててみせるか? って試行錯誤における、心積もりや腹づもりひとつで、変わってしまう認識や処理が、人生に、沢山ある。ありそうに見えている。から、改めて、静かに深く、見つめて、整理していっても、よさそうだ、って思えている。楽しそうだな、って思えている。▼▼目標設定の哲学、とでも言えてしまいそうな、思考の整理と挑戦を、目論んでみてもよいかなー、って雰囲気である。目標って言葉で、目標の立てかたで、目標の形状で、君や僕の心の、何が変わっていくのだろう? なんて疑問文の話だ。

備忘録として、忘れたくないもの達を挙げています。後世の自分向けニュース風です。

→ 「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。 性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから」

→ 「けれども、自分が惨めだ、と自分に言い聞かせるのは難しい。弱い心は、自分の嫌なことを嫌々やっていることが、カッコいいことだと自分にいいきかせてきた。これは、不自由が生み出した病である。不健全だ。 時々世の中に潜望鏡を上げて覗いてみると、自由な状態にある人を妬んだり、不自由なままでいることが素晴らしいと説いている人をよく見る。それが一般的なこと、常識のようだ」

「本書と類書の違いは、何といっても時間軸だ。今までの行動経済学本では、ホモ・エコノミクスをスケープゴートにするや否や血祭りに挙げるが、本書では経済学はおろか、学問そのものまでに遡って、経済学が「どう行動」していたかを歴史を追って紹介する。特に時間そのものを扱った第2章は圧巻で、アウレリアス・アウグスティヌスの『告白』にはじまってニュートンに続くこの章だけでも本書をひもとく価値がある」

→ 「なんだかんだと言ってすべて実にスリリングな作品ばかりだった。途中で頭を抱えたり、意味わかんねーぞコラァ!とキレたりしたけど、なんだかんだでやっぱり楽しい。やっぱ、自分の理解できる領域から多少”逸脱”している作品は読んでて楽しいよな」

→ 「ユーラシアには、そういう作物や家畜になりやすい動植物がたくさんあった。ほかのところにはなかった。さらにユーラシアは横長で、一ヶ所で発見されたものが伝搬しやすかった。南北に長いアフリカやアメリカでは、それがむずかしかった。 たったそれだけのこと。しかし、それがすさまじいちがいを生む。ダイヤモンドは、それを見事にまとめあげる」