世界は称賛に値する

日記を書きます

工学部・水柿助教授の解脱(森博嗣)を読み終えた

工学部・水柿助教授の解脱 (GENTOSHA NOVELS)

工学部・水柿助教授の解脱 (GENTOSHA NOVELS)

▼▼称賛的な意味合いで「変なものだ」とか言いたくなるんだけど「変」と言うのもおこがましいよねえとか言ってみたくなるものでもある。繰り返すが褒めている。相対的に観測するなら小説みたいなものだろう。正直言って無茶苦茶好きである。無謀と無茶な挑戦とかやるだけやってみましたとかが好きなので、琴線をゆらゆら揺らせる。▼▼著者像に詳しいかで印象が変わるかなーと思う。誘導と演出のもとで開陳されていた著者の個人情報が活かされていて、なので、詳しいと、違う楽しみかたが選べそうなのだ。個人情報を巧みに「もらして」おいて、ほぼ捏造のような形で振る舞ってみせた著者像を、あえて活かして小説を書くとか、もう贅沢の極みだよなーってにやにやできる。シリーズ完結。

 ところで、物語の起源を辿ると、そもそもは実話を語るところから始まったはずであり、語られるような実話とは、実際に起こったことの中でも、特異なもの、つまり滅多にない珍しい展開であっただろう。だからこそ、語る価値があり、聞く価値もあったのだ。すなわち、小説は元来、現実よりも奇なるものであったわけである。けれども、一旦これが小説としての立場を確立し、文学として歴史を重ねるうちに、やはり現実から乖離している部分が、どうも作りものっぽくて、おもちゃっぽくて、下品な感じがするよな、もっと芸術は崇高なものなのに、と不満になってきた。そこで、今一度現実に回帰すべきである、というような方向性が自然に生まれてきたのだろう。ほかの芸術分野を見ても、類似の傾向を見つけることができる。
──P.136

 どんなものでも最初が肝心であるが、小説の場合も例外ではない。やはりいきなりゴミの話ではなあ、と反省している。いくらなんでも情緒がない。しかし、だからこそ、わざわざ母親というアイテムを引っ張り出し、歴史的経緯を紐解こうとする伝記的手法に則って、誤魔化しのスタンスを繕ったわけである。実際のところは、そういった慎重さは全然なくても、だいたい気まぐれでことは運ぶものである。あとになって、「あ、いかんぞ、これではさすがに誰も納得しないんじゃないかぁ?」という不安に駆られる。そこで、昔からそういう流れがあったかの如く捏造することを思いつく。それが一般に「経緯」と呼ばれるものの実体だ。たとえるならば、風呂場で歌をうたうようなもの。え、どうして風呂場の歌が関係あるのかって? このように全然関係ない喩えを持ち出すことによって、喩えようのない不安を読者に抱かせる新手法を試してみただけである。
──P.157

《84点》《★★★★》