世界は称賛に値する

日記を書きます

木曜日の始まり(謀略/食イ尽クス/木曜日)

▼▼死にはしないから問題なかろ、と判断してみせる覚悟というか「言い聞かせ」が、浅はかで温い認識であることは当然あるだろう、って思うのだけど、想定されている状況が実際に「払拭されてしまう」ものなのであれば、無駄な「言い聞かせ」ってわけでもないわけで、不満とか文句とかをぶつけるほど悪くないっていうか、浅はかで温いから駄目駄目だよー、って文句を自動構成してしまうのも違うか、って思ったりもする。浅はかな精神操作でもないよりはよい、ので──のだけど、逆を言うと、浅はかでも精神操作されてしまう、ってことなので、効果に疑いがあまりない分、望んでいるものを精緻に踏まえて振るわないと、足下掬われて転ぶぜ?って思うのだった。問題設定混乱中だなー。精神やら感情やらにはいろいろ対応できるので、するぜって思うけど、甘えるなって話だ。
▼▼起床時刻は午前7時。勤務開始は午前9時。時間がないのでこのあたりで。

■以下はお気に入りの言葉達で備忘録として記録したくなったものです。

→ 「何かについて迷った時に、森博嗣の書いたものを読むと、至極普通の自分に戻ることが出来る。人生の基盤。読んでいると、何気なく通り過ぎる日常の風景に、ふと足を止めて見入る、そんな感覚を持つ。そこまで行くともう、作品が面白いとかつまらないとかを超越しているので、今のままでは人に伝えられるような何かを書くのは至難である」

→ 「そもそも私欲がないために進んで善を為せる人のことを「聖人君子」と呼びますけど、自分の人並み以上の欲望を意志の力で抑えつけてあえて善を為すタイプの人は何と呼ぶとしっくりきますかのう」

→ 「抽象化は面倒だ。回りくどくなる。けれども、一旦抽象化してしまえば、後が楽になる。僕はそれが好きだ。今日も、抽象化できないものを、なんとか抽象化できないかと、考えている」

→ 「どうでもよいことは流行に従い、重大なことは道徳に従い、芸術のことは自分に従う(映画監督: 小津安二郎)」

→ 「けれどおそらくこれは「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問い同様、何らかの誤った前提から出てきている発言であり、明確な回答や反論を引き出すことができない類のものなのではないかと思います」

→ 「重たいものを振るうと、体ごと持っていかれることってありますよね。 気持ちも、同じなんですよ。 振るうと、その重さに引きずられてしまう。 けど、振るっているのは必ず自分なんです。 そのことを忘れさえしなければ、上手く重心をとれるようになるはずです。 楽しさを振り回すときには、虚しさを逆側にかけないと、こけちゃいます。 虚しさを振るわずにはいられなくなっても、楽しさを逆側にかけておけば、上手く振れるんです。 大事なのは、やっぱり沢山振ること。 楽しさと虚しさを、こっちが振り回してやることです」