世界は称賛に値する

日記を書きます

水曜日の始まり(使者/到達/水曜日)

▼▼預言者や配達人の矜恃あたりが、人間とか芸術を語る上で有用すぎるので、逆にいろいろと考えたいと考えた。透明性。道具性。誰かの代わりとしてあることの、人間性?
▼▼起床時刻は8時。勤務は休み。業務や職務を再定義することを考えている。再構成でもよい。整理や見直しが要るなー、と最近はよく考える。現状維持だけは駄目なんだってば、だ。人間の「新しいと感じられるものを見ると何となく意識が向いてしまう」ことを活かす道を考えないと駄目、って思っている。最適な構造を見つけて変化を終わらせて楽しよう、なんてできないぜってことだ。答えを出してみても飽きられるのだから、変化し続けることが答えなので、静的な答えなどない、って言うかな。変化していればまずはよい。なので、あまり完璧を求め過ぎなくてもオッケーよ、っていう話でもある。
▼▼試験用学習と送別会参加が予定にある。前者はいつも通りだ。図表要素と絵画要素を巧く組み込めないかって相変わらず考えている。可能だろう。規則化して時間を掛けずにできるようにしておこう、というあたりが現段階だ。
▼▼読書は『デザイン思考の仕事術』が楽しくなってきてしまったので読もう。業務や職務の再定義についても影響を受けている。欲しい本がいくつかあるので買おうとも思う。

■以下は個人的ニュースサイト的なお気に入りの羅列

→ 「うまく行っているエントリィ、というのは敵に回した相手が、僕やカントクにとって適切な相手だったのだ。また、皆が味方とも敵とも思っていない相手や、皆の味方を、皆にとって敵であるかのように錯覚させることに成功したエントリィに人気が出ているのだ」

→ 「このシーンはとくに面白い要素がないのに「世界観の説明」「シカルの特殊技能の説明」などの重たい情報が開示されていて読まされている感が強い。話の筋を追っているだけで小説の展開になっていない。こういうの作者が楽をしているなと思う。たとえばマルドゥックスクランブルでは「世界観の説明」と「話の方向性」を提示する解答として主人公を鮮やかに殺してみせた。封仙娘娘追放録では、客を捕まえる、そのために作られたと言わんばかりの心躍る龍退治をえがいた。ああいうのがいい。面白さと情報のバランスが大事、序盤だけはちょっと面白さ側に傾いているぐらいがいい」

→ 「100回練習すれば、今までより確実に上手になり、練習しない人よりはるかにうまくなるのです。大切なのは、練習する意志と根性と、そして何を練習するかです」

→ 「武井宏之の「ユンボル-JUMBOR-」の第2弾となる読み切りが掲載される」

→ 「フランス人の「幸福の追求を考えている人間はバカで浅はか」とか、ロシア人の「幸せは子供だけが感じる感情」、韓国人の「他人が幸福だと自分の幸福が吸い取られる」などの国の人の前では、幸福という話題も出しづらいだろうなあ」

→ 「つまり私は「作りたい」人ではなくて「見たい」人だったわけです。ただ、それが現在どこにもないなら、「見る」ための方法として自分でそれを「作る」ことも辞さないという感じ。多分そこの認識がずれていて、動機と行動がうまく結びつかなかったんでしょうのう」

→ 「マイナスの数の概念そのものはそれほど難しくない。物の数に関しては借金の概念が助けになる。 -6×2は6円の借金を2回と考えればそう難しくない。何か適当な強さを表す数値については0をどこに定めるのも勝手だということが温度などの例からすぐわかる。 0度を水の融点と定めただけのもので、そこより低い温度にマイナスとつけることに何ら特別な点はないのである。こちらはかけ算の対象にはならないので注意がいるが、「逆方向に行けばマイナス」という数直線の概念を理解する入口としては使えるだろう。しかし、6×-2を理解するにはそのどちらも助けにならない。かけ算A×Bを、「Aという数のものがB個ある」と解釈する限り、二つ目の数にマイナスは使えない。6円の借金が2つ、は理解できるが、 6円が-2個、というのは意味をなさないからである。この拡張をするにはかけ算の意味をより抽象的なものに拡張せねばならないのだ」