奇跡的な全体像把握を待ってサボって諦めてる場合じゃない

▼▼問題整理をしていて、対象の分解が数割しかできていないような時に、数割しかできていない姿を見せるのが恥ずかしいのもあって──凄い己を見せつけたいというような見栄が強まっているのもあって、思考を停滞させ、延期させてしまうことがある。理解すべてが訪れるのを待ってしまうことがある。けど、動かないと思考はあまり進まないっていうか、数割を手掛かりにして足掻かないと残りはやってこないことって多い。だから、諦めてしまうのは巧い手ではないだろう。という反省を最近はよくしている。諦める習性がありすぎなのだ。賢くなりたいなら何とかしておけそこは、って思う。