理論は自分用調整がいるので、そのために要るのが、結晶化させた理?

▼▼学習においては経験が数多く必要になってくる、のは、環境や状況の形や型を理解していないと駄目、だからだろう。理論というのはおおむね薄めなものである──薄めにはなってしまうって思う。抽象化や捨象化が関わってくるからだ。普遍性や一般性を保っているならなおさらだろう。薄いおかげで調整が重要にもなることも多い。補強やヤスリ掛けが必要になったりする。で、調整は経験が埋めてくれるのだろう、と判断している。
▼▼調整時には二つの見極めが必要となる。なるだろうな、って続けて考えていた。
▼▼見極めの一つ目は「環境や状況を理解して現状ではどういうものが必要とされているか見極めること」で、見極めの二つ目は「必要な性質を発生および維持させるためにはどう足しどこを削ればいいか見極めること」だ。▼▼幅広く状況を見渡せているかどうか、と、理論を回す対象である自分の形や型を巧く理解できているかどうか。
▼▼素敵な菓子作り理論で比喩するなら、環境である台所の状況まで理論に組み込まれているかどうか、と、調理者の特性つまり得意な調理法や癖や味の好みを理解できているかどうか。ひどく「個人的」な「地球環境」と「人間気質」なんて言葉も言えるかな。あまり巧い比喩ではないかなー。個人的/外部/内部、を巧く整理できていないと思う。