シゴトすること、右腕挙げること

▼▼勤務面で最近は変動が多いなあって言える。変化幅もおおきいほうだろう。簡単に言うと活動母体的なものが変わりつつあるのだ──あるせいだ。数日前は新幹線で会議目指して移動した。相談ではなかった。説明だった。熱意は増したかなー。微妙で結構よくわからない。楽しんでいるのかな。楽しんでいるところもあるように思える。萎えているのかな。萎えているところもあるように思える。わりと未知数すぎる。よくなるとよいなと思う。よくなるって何だ。楽しんだり萎えたりしてる場合なのかなー、とも考える。
▼▼おおまかに言って、シゴトはツマラナイ、とかは好きじゃない。好きも嫌いもないと思う。右手を挙げるのに好きも嫌いもないっていうのと同類で思う。左手を挙げるのに楽しいもツマラナイもないって対比で思う。楽しむ術もあったりなかったりだろって感じで思う。思いたがってしまう。思えるような視座が好きで、欲しいのだ。なんていう「落とし込み」を目指そうとすると、楽しむ術を「持ちだそう──活用しよう」と思えるかどうか、みたいな精神構造による区分が、次は問題視されだして、結局、楽しむ/萎える的な区分と同じような形で区分してしまいそうになることもないとは言えないのだけど――普通にあって、つまり区分けに思考が及んでしまう面もあるのだけど、好きじゃないのはやはり好きじゃない。楽しめる範囲は拡大できる? っていうのはテーマだ。