維持と支持の基礎としての思い出

▼▼思い出に支えられているって思う。かつて誰かに愛されていて、みたいなことではないような気がする。整理は難しいなと思った。受動や受容の記憶なのかな? 理想を言うなら、能動的な愛の記憶がよいよね、なんてことは思っていて、つまり、世界と人生で出逢った愛すべき者達の存在こそが思い出の輝きの源になっている、とか言葉にできると嬉しいのだけど、慈愛も慈善も意志を用いてしか持ち出せないような自分の経験的な限界線を考えると、想い想われ的な――愛し愛され的な、受動を発動条件とした能動程度が妥当で適当なのかな、って思ったりもする。どうだろう。でも、御礼としてじゃなく愛せるなら素敵なことだって絶対思う。駄目な場面もあるのかもは無論前提で。▼▼余談。誤解と勘違いに満ちた愛から生まれるような愛は、哀しいけれど、実際的な愛されがなくても愛せる、みたいなことで考えるなら、美しい、って思えるかな? と少し考えていた。