傷物語(西尾維新)

傷物語 (講談社BOX)

傷物語 (講談社BOX)

▼▼人間の超越存在や上位存在みたいなものの話を読むと少し哀しくなってしまう――哀しくなれてしまうのは、向こうがどうにかしてくれないと理解も愛も成り立たなそうだから、で、同時に、人間だって下位と言えるようなものに対しては同じ問題点を抱えている可能性があるから、っていうのもあって、あるいは、所詮は人間同士だって同じようなものなのでは、ってことにも思いを馳せてしまうからかな、って思う。虚空牙もウィールドシスターズも絶滅の島の宇宙人も、超越者と呼びうる存在で、人間精神や人間心理を理解してくれたり理解してくれなかったりだけど――理解の余地だってあったりなかったりなのだけど、まあ何にせよ、やるせないものがあって、怖くなる、し、哀しくなる。
▼▼同じように、下位だと認識している者たちが勝手に断絶を感じて「切り捨てて」しまうようなこと対しても、同じような、やるせなさと、怖さで、哀しいよなあ、って思ってしまう。加えて、何より、勝手に断絶を感じて切り捨ててしまう、って構造を論旨にするなら、人間同士でさえいくらでもありえそうな事態で、むしろ、超越者に対してのやるせなさは、類比して厭がっているだけなのかもなー、って印象すらないではない。強調されてしまうから見たくなくて厭がっているだけ、ってことではないのかな?
▼▼前日譚であり、最初の物語。物語シリーズの第二弾と言える。
▼▼阿良々木暦の物語で、キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの物語で、でもって、罪と傷とエゴの――不運と不幸の物語、とか言えてしまう物語。よく思うのは――物語シリーズに対してよく考えてしまうのは、模倣すら困難な「優しい」心をよくこれだけ書けるな、ってことで、正直強く感銘を受けている。はっきり言って自己犠牲というほかはなく――けれど一概に自己犠牲なんて言えるようなものでもなく、阿良々木暦はもう「壊滅的に」優しい。だからこそ一連の物語があって――だからこそ不幸になってしまう者がいて――だからこそ変わってゆく者がいたりもして――だからこそ、昂じて勝手に救われる者達がいる。いるような物語が、巧く鋭く成立していると思う。
▼▼死にたくない、って一言もらしてしまったことの罪と責任については考える。撤回が許されないような決定的な一言がありえることをよく考える。誰かの許しなんて実際は不要だろ、ってことまで含めて、なおかつありえてしまうことをよく考える。という思索が可能になったってだけで、大切な小説だ、って言えるんじゃないかと思っている。
▼▼読み返した。楽しいなあ。好きすぎる。世界で一番好きな小説ランキングにランクインする可能性を感じてしまった。対象が「一番」なのにランキング形式成り立つのか、とも思ったのだけど、可能なくらい一位候補が多いだけなので、問題なしとしておこう。