我が聖都を濡らせ血涙(秋田禎信)

我が聖都を濡らせ血涙―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)

我が聖都を濡らせ血涙―魔術士オーフェンはぐれ旅 (富士見ファンタジア文庫)

▼▼対話は近付くためにするのだと思うのだけど、対話したからって完璧な理解に辿り着けるわけじゃなくて――真意は遠くて、理解なんて夢の話だ。でも、対話しないわけにはいかないのだ。理解したいと思わないわけにはいかないのだ。理由? 理由なんてものはいくらでも造れる。創造できて捏造できて、意味なんてあるのだろうかって思う。
▼▼観測する限り、キサエルヒマ大陸の歴史は勘違いに充ち満ちている。誰も誰の真意を掴めない――掴めていない。護られて護られている自覚がない者がいて、甘えていながら甘えを自覚できていない者がいて、怖れながら怖れを掴めていない者がいる。誰にも理解を得られず、己の心理すら勘違いして、でも、掴めるわけがなくて、だからこそ、前に進むしかなくて、結果として、現状がある。無理矢理な理解と納得で活動を進めてきて、収斂としての混乱と――混乱を隠した現状があって、なんていう現状を踏まえながら、疑う者と、信ずる者と、戦う者と、進む者と、諦める者達が、舞台の上に立っている。
▼▼最近は、俯瞰して嗤う者がいないよなーってよく思う。秋田さん(秋田禎信)は超越視点で嘲笑う者を配置しない。神すら神じゃない。哀しみが通底しているな、と思ったりもするのだけど、根源はこのあたりにあるんだろう、って考えている。
▼▼物語を切開する感想を今度は書こう、と考えていたのだけど、駄目だった。物語の感想じゃないものが書きたすぎる。言葉にしたいのは物語の筋書きではないのだろう。哀しみがなぜ哀しいのか。理解と不理解はどこにあるのか。彼の心、彼女の気持ちはどこにどうあったのか。でもって、幾多の感得が混じり合って、物語は何を描けているのか。とかが書きたいみたいだ。整理してみると楽しそうだ、と想像している。また書こう。