演劇的土曜日

思索と雑感

→ 文章を書くようになると、やっぱり読んで読んで的なことは思ってしまうところがあるなあ。執筆と同時に思い始めるのがわかる。でもって、弱さだなー、とか思って否定したがってしまう癖ががあるのもわかる。

→ 評価や称賛を欲しがってしまうような――せめて認めて欲しいのだと思ってしまうような、顕示欲的な欲望系を、弱さだ、とか言って、ただ区分しておけばいいわけでもないんだろうけど――弱さだとか思って盲目的に否定しておけばいいものでもないんだろうけど、でも、あんまり「読んで欲しいなあ」とか思わないほうがいいんじゃないか、って判断は、なんとなくやっぱりある。所詮はなんとなくだけどとは言える。

→ まあ、でも、単に投げ捨てればいいってことでもないよなー絶対、みたいなことも同時に考えるのだった。放棄も諦めも違うだろ、とは感じるのだ。で、結局は、頻繁に考えてしまうところの「覚悟の問題」的な話に持ち込んでしまったりするわけで、君はほんと芸がないなあ、って苦笑したくなったりもするわけだけど、まあ、文句言うほどじゃないかな、とも思う。相変わらず重要だとも思ってるし、つまりは好きで大切な話だ。

→ 読まれる覚悟? 読まれない覚悟? 違うような気もするな。読まれたり読まれなかったりする現実を踏まえて、駄目なら駄目でそれを受け入れて次へと向かう覚悟? ってな感じで概念を修正して複雑化してみたりもしてみたけれど、やっぱり若干ずれてないかなー? って思ってしまった。そういう問題なのかな? っていう疑問かなあ。

→ へこたれない覚悟って、やっぱり、結局は、明日を見て今日を少し軽視するってだけじゃないのかなー。

→ 軽視みたいな「価値を低く見る」ような観念をなるたけ持ち込まないようにして、けれどなお「軽視しているのと似たような効果」を持ち込むことに、なんか意味があるんかなー。って改めて考えてしまう瞬間もあったりしたけれど、ここは、ある、って判断しておかねば駄目だろ、っていうのは、よくよく考えてみたらよく思っているところのはずなので、思想によるエラーチェック後排除されました、ってことにしておく。というかされてしまった。ていうのは思考停止や思考放棄では? んー、要再考だなあ。

→ でもねー、軽視じゃない軽視。敬意と軽視の貴重な一致点、みたいなものがあると思うのだよな。

→ 軽視的ダイナミクスと敬意的ダイナミクスをグラフにした時に一致するところ、みたいに思ってしまうのは、最近の経済学的視点の導入の影響かな。

昨日の行動記録

→ 「勤務先」朝番勤務→品出し→面接→面談
→ 「電車」『ポーターを読む』を読み進めた→時間制限付けて読んでみた
→ 「駅」寝過ごした→電話で業務連絡した
→ 「自宅」『G線上の魔王』をプレイした→椿姫編終わり

昨日の購買記録

→ 特になし

昨日の読書記録

→ 『バカとテストと召喚獣』井上堅二(小説) 半分
→ 『ポーターを読む』西谷洋介(競争戦略) 復習
→ 『子どものための哲学対話』永井均(哲学) 若干

本日の起床時刻

→ 午前7時00分

本日の勤務開始

→ 午前9時00分

本日の行動予定

→ 限定商品の納品処理を手伝う
→ 面談を数名実施する
→ 電話マニュアルを微調整する
→ 試験勉強を2時間以上実施する

本日の学習予定

→ 30分 新規範囲「競争戦略/ポーターを読む」
以下は基本
→ 20分 復習1「昨日の範囲」読み返し 20分
→ 40分 復習2「さらに2週間前の範囲」まとめ直し 40分
→ 30分 復習3「復習3/さらに1ヶ月前の範囲」見直し 20分

本日の読書予定

→ 『バカとテストと召喚獣』井上堅二(小説) 続き
→ 『ポーターを読む』西谷洋介(競争戦略) 学ぶ