世界は称賛に値する

日記を書きます

ドラクエ的木曜日

起床時刻

→ 午前5時45分

勤務開始

→ 休み

昨日行動

→ 朝番勤務→本部会議→日本橋丸善→ヴィドフランス

昨日購入

→ 『ヴァルプルギスの後悔』2巻
→ 『友達100人できるかな』1巻

昨日読書

→ 『ヴァルプルギスの後悔』2巻
→ 『ポーターを読む』

昨日備忘

→ 「写真加工.com」

行動予定

→ 日記書く

学習予定

→ 「企業経営理論/ポーター理論」6時間

読書予定

→ 『ポーターを読む』
→ 『ヴァルプルギスの後悔』2巻
→ 『友達100人できるかな』1巻

近況思索

→ 正当で完璧なノート技法やノート技術なんてないのだよなー、と改めて言い聞かせておく。最近「完璧なる整理」を求めすぎである、と強く感じるからだ。完璧なる整理が大切なのではなくて記憶や応用が重要なのであろう? というかさー、記憶や応用が重要となるような世界を生きている、のだ。生きているつもりである。選択したかはまあ微妙だけど、やむを得ず、というほど嫌々ではないし、楽しい、と感じてしまっているところもはっきりある。だから逃げたりする理由はない。ないだろう。要するに、残念な整理とか描写とか図示とかノートとかが目の前にあっても唸らなくてよいよね、って思うのだ。思いたいのである。なので、言い聞かせるように、悪くないな、と思うようにしておく。無駄にしないことはできるはずである。完璧は無理かもだけど無駄にしないことにかけては定評があるぜ、程度は目指そう、って考えておく。不完全なる第一歩すら最大限活かせる技術、っていうかなー。動かないよりマシだぜって理屈は嫌いじゃない。与しておこう。