認知心理学的に考えると微妙な違いこそ重大だったりするんですようがー

▼▼認知心理学的な説話を知れば知るほどうがーって感じにはなっていたりするかな。認識は微細な違いに影響を受けすぎる。想定以上であった、って言える。実験的に影響を受けているのは理解できるし、経験的にも受けるのが納得できてしまう。▼▼些細な違いがまるで違うものとして認識させてくれるのだなって話だ。確かに「22360679」よりは「2236−0679」のほうが「記憶しやすいみたいだ」って感じられるし、語呂合わせ「富士山麓オウム啼く」まで考えるなら、なおさら記憶は容易にできたりするだろう。語呂合わせまで行くと、ま、論旨がずれるかなとも思うけど、棒一本で変化を見せる前者は、些細な違いを加えることで印象が全然変化して認識律もきっちりと変わってしまうよ、ってことの実例には、しやすいんじゃないかなー、って思う。▼▼微細な違いの重要性と効果性を放置しすぎたよなー、なんて、無駄に落胆してしまう、のであった。想像していた以上に「微細な違い」は認識に影響を与えうるものであり、実際、間違いなく影響下にもあったはずなのに、だからつまり、慎重に捉えれば想像も及んだはずなのに、軽視してしまって、意識できず、すっかりうっかり見逃してしまっていた。驚くほど活かせていなかった。▼▼簡潔に言うと、こんな楽しそうなモノを有していながら遊ぼうとしなかったなんてなんという失態だろーか、とか思ってしまっているのだった。無論、最近は活かせていると思う。だいぶ活かせるようにはなってきただろう。ってことは、歓ぶべきことで、落胆している場合じゃないか、っていう、お決まりの理路で、励ましてはおこうかなー。遊ぶなら今からである。遅かった、なんて観念は基本捨てていいんだと思う。