血みどろの苦心が「頑張っている証拠」ってわけじゃない

▼命を懸けて人生を歩んでみせる――楽しんでみせよう、とか決めて、貫き切れたりするなら、最後まで楽しく行ける可能性は増すような気がする。している。のだけど、無理かも、って少し思ってしまう。思ってしまうのは、難しそうだからだ。つまり「大変そうだからで、怯んでしまっているからだ。▼と。踏まえて考えていた。結局のところ「命を懸けて人生を歩む」って選択の向こうに「血みどろの苦心」とかを視てびびっているわけだけども、命を懸けるってそういうことなのかなー? 別にさ、血と汗と涙が頑張っている証拠や証明ってわけじゃないだろ、っていうのは、現段階からでも言い聞かせとかないと駄目なんじゃないか? って最近は考える。苦しみで錯覚しちゃうのは怖いなと。