哲学塾 もしもソクラテスに口説かれたら(土屋賢二)P.29

もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について (双書 哲学塾)

もしもソクラテスに口説かれたら―愛について・自己について (双書 哲学塾)

学生3――自分がだれかを愛しているときに、相手の何に自分が惹かれているのかっていうことを、自分で特定することができるんですか? 相手は身体や心の要素をもっているかもしれないけど、知覚できるのは、相手の人という一つのかたまりであって、それを要素に分けてバラバラに認識することができるのかって思うんですけど。

 なるほど。相手を見ても、相手の人という全体しか認識できないんだから、どの要素を愛しているのかということも特定できないんじゃないかっていうことですね。その場合、相手の全体っていうのは、身体と心を含んでいるわけですね? 服は含まない?

学生3――そうですね。服は含まないと思います。

 服はたぶん相手の人の中には含まれないよね。爪とか髪の毛とかは含まれるんですか? 歯も抜いたりするけど、歯も含まれるのかな? 髪の毛があるかないかで印象は相当違うけどね。歯があるかどうかもかなり大きいけどね。……まあそれはいいや。きりがないから。
 で、相手のどこが好きかって自分でもはっきりしないこともあるんだけども、ある程度言えることもあるよね。相手が好きだって言うときに、たんぱく質でできてるから好きだって言う男はいないと思うし、眼が顔についているから好きだって言う男もいないと思うでしょう?
 それから、好きな人でも嫌いな部分があることってないですか? たとえば目は好きなんだけど耳の形が嫌いとか。声は好きだけど、食べ方が嫌いだとか、あるでしょう? きちんと分析するのは簡単にはできないかもしれないんだけど、そんなことを考えることはないですか?

学生3――それはありますけど、相手の人について考えるときに、たとえば目に見えない性質とか性格について考えるときにも、視覚的な情報は絶対に影響を与えると思うので、ソクラテスのようにルックスにはまったく関心がないって言うのはおかしいんじゃないですか?

 でもよく、「ルックスはいいけど性格は悪い」とか「性格はいいんだけどルックスがイマイチ」とかね、「誠実なんだけど、顔がドアノブみたいだ」とかね、そんなことを言ったりするでしょう? だから、ある程度区別することはできそうな気はするんだけどね。
 それとも君は、そういうことがあっても、身体と心の総合点で好き嫌いが決まるんだと考えるのかな? どっちかがマイナスであっても、もう一方がずっと大きいプラスだったら、合計して好きだと考えると、そういうふうに決まると思う?

学生3――そう言われると、そういう気もする。

 ぼくもよく分からないんだけど、総合点なのかな? このソクラテスの論法によると、君と身体は違うんだよね。ちょうど君の身体と洋服が別物であったり、君の身体と貯金が別物なのと同じように、君自身と君の身体は別物だと言うんですね。そのときに、たとえ総合点だとしても、貯金が多いからっていう理由で好きになるっていうのは、総合点はある程度あったとしてもやっぱり許せないんじゃないの? 貯金がなくなったら好きじゃなくなるんだから。

学生3――でも身体と精神を完全に切り離して言うことにわたしは反対なんですけど。

 ああ、そうか。じゃあ、ここでは身体と心が完全に切り離せるとソクラテスは主張してるわけだけども、どうしてこれが間違ってると思う? 身体と君は別物だってことを論証してるわけだよね。論証のどこが悪いと思う? 使うものと使われるものは別々のものだから君と身体は別物だって言ってるんだよね。
――P.29