世界は称賛に値する

日記を書きます

判定式型の世界判定式

▼判定式は沢山あって、世界は判定式によって彩りを変えるんだろう、なんて最近は少し比喩している。判定式「ビジネス」を採用して世界の彩りを変えることには、結構な躊躇があるかな。判定式を解析しきれていないせいだろう。判定式「ビジネス」により獲得が可能になる物差しは「利益」や「儲け」と呼ばれるものであろう、とは考えている。のだけど、物差しとして「利益」や「儲け」を採用してみせることの是非や適否が理解できない、のだ、なんて言える。と同時に、判定式「ビジネス」で扱う物差しが「利益」や「儲け」でいいのかどうかも意外と謎だしなー、なんてことも考えてしまう。
▼判定式「人は皆死ぬ」や、判定式「運命に縛られた自動人形」によって、世界の意味を揺らしたりしてみるのも、楽しかったりはするのだけど、変貌率が極端に高度な判定式なせいか、持続や維持は難しい。難しかったりするみたいだ。なんても考えている。判定式はいわゆる世界観と言い換え可能かなー。同様に、価値観とも言えるだろう。無駄に換言してしまう、のは、切り替えが可能、ということを強調したがっているせいだと思う。