喫茶店で待ち合わせて

▼喫茶店の前で待ち合わせた。場所としては珍しいほうだろう。というか初めてじゃないかな。馴染みはない。喫茶店は使う機会がほとんどなかったのだった。対話と読書と勉強を意外と楽しんだのではないかと思う。▼最初に素敵な環境を探して、整えておいたたほうがよいようだ、とかいう認識を最近は持っている。持ってしまっている、環境要素から攻めることは、確かに効率がよくて、同時に結果にも繋がっていて、だから、うまく追求していこう、という風が吹いていたりする。吹いてはいたりする、のだけど、でも、おかげで、認識や心理や行動を巧みに動かすことによる解釈コントロールなどを活用する機会が減っているところもあったりして、駄目かなー、と考えているようなところも――不安不吉不満に思っているところも、あったりする。注意しないとな、と感じているのだ、安寧安泰安易な快適に安住していると、逆境や抵抗には弱くなる。なるはずだろう。というのが怖いんじゃないかと思う。つまり、贅沢に甘えている場合じゃないだろ、って思ってしまうのだ。▼問題は、なので快適を捨てよう――逆境を招いて派手に苦行しよう、という選択が、だからって正しいわけじゃないんだよなー、っていうことだろう。ま、難点とか弱点とかがあるからって素敵なものを捨てるのは違うだろ、ってことだ。環境快適化戦術だって人生においては素敵な武器になりうる。できうる。だったら、難点も含め弱点を踏まえ、巧みに活用すればよい。環境快適化が持つ問題をあげつらう前に、下手な扱いで弱点を露呈させてしまう、己の技量の低さを強く嘆くべきだろ、って考えていた。▼静穏な喫茶店での読書や勉強は想像以上にはかどった。よい。けれど、定住してしまうと静穏じゃないところでの対応ができなくなるかもだ。かもだけど、だからって、喫茶店の排除が目指すところなわけじゃない。じゃないだろう? 源泉をただ排除するような解決策は微塵も理想ではない。綺麗な配分、つまり「遣り繰り」でも戦いたい。均衡点ギリギリで頑張るのはやめたほうがいいんじゃ……、とか最近考えたことがあって、理論としては少し矛盾するわけだけど、理念としては、このあたりでうまくやりたい、って考えている。