壊れるほど好きでも三分の一の再現性

▼複雑さを言葉に換えてゆくことも、間違いなく楽しくはあって、だから、好きを語ることでは、あくまで素敵の一端だけしか顕現させることはできないのだとしても、わずか見せられるならよいかなー、とは思う。好きを語ることで、何が提示できて、というか、むしろ結局、何処まで語りうるのだろう。でもって、どう語りうるのだろう。とかとかだ。