世界は称賛に値する

日記を書きます

無駄撃ちを捨てたシンデレラ

▼誰かが助けに来て、救われる、という観念が胸中になければ――なんて期待が心中になければ、いくらか楽になったりはするんだろうか、って思う。待っていてよい、と判断させうるものがもっとなければ、ぼくらはもっとうまく動けるんじゃないかなー、なんて判断してみたのだろう。覚悟が決まり真剣になって無駄撃ちが減るんじゃないかな、という想像である。でも、選択や配分は確かにうまくなるかもだけど、切り詰められて追い詰められて、結局は苦しむことになるだけかもなー、という想像も浮かぶ。誰も助けちゃくれねーんだよー、という救いを捨てた視座が、救いには、やはりならないかな……。換言だと、期待外れが持つ残念性まで含めても「期待」は人生には必要なのだろうか、とか。難しいな。救われという幻想は必要なのかなー。というか幻想なのかなー。独りで勝手に救われるだけ、ってのもわかるしなー。幻想ってほどの断絶ではないような気もするしね。