悪魔のミカタ666 6巻(うえお久光)

悪魔のミカタ666〈6〉ノットB (電撃文庫)

悪魔のミカタ666〈6〉ノットB (電撃文庫)

▼覚悟は何処まで貫けるものなのか? 強靱な意志とかが好きなので、覚悟のことはよく考える。無論、決めたことを貫くことだけが正しいわけではあるまい。覚悟を曲げないことが、視野狭窄に陥る淵ギリギリだったりすることだって、当然あるはずだ。例えば、覚悟という言葉で想起してしまうのは、ファイナルファンタジー10のユウナのことだったりするのだけど、まあ、滅茶苦茶好きな人格だった、とは思っていて、好きな人格だったのは、物語の半ばで、彼女が、世界中から嫌疑と憎しみを向けられるような状況になってしまって――なりながらも、世界を救う旅を続けよう、と、覚悟を決めたからだ。哀しみや苛立ちで大切なものから目を背けなかったからだ。覚悟を曲げないと決めた。無論、判断が正しかったかは不明だ。けれど、覚悟の強さは間違いなく美しかったと思う。
▼以前から『悪魔のミカタ』に対しては、覚悟の物語だ、と判断していて、つまり、覚悟が試されるとはどういうことかを執拗に描いているなあ、と感じていたりする。
▼誘惑と惰弱と、つまりは、覚悟を曲げようとするものたちが、世界には沢山あって、けど、堂島コウはずっと乗り越えてきている。けど、でも、いまだに止むことはない。理由はあっさり消滅してゆく。覚悟を続ける理由はなくなってゆく。救いたい彼女は救いを厭がり、犠牲を厭わない覚悟は玉砕し、恋心すら疑わしいものに堕ちてゆく。迷わせる。だから、悪魔の物語、なのかも、とは、何となく考えたりもする。
▼死ぬほど困っている誰かがいて、黙って見ていられなくて、だから、助けるために命を懸ける覚悟を決めて、動いて。なのに、実際に助ける段階で、助けられたくないと相手が考えていたことがわかったり、救いたいと感じた心が捏造によるものだとわかったり、したら、最初の覚悟を貫くことは可能なのだろうか。というか、貫いていいんだろうか。維持する理由は? 助けたいと思う気持ちはホンモノだから? 今感じているコレは間違いないものだから? ということすら乗り越えて、悪魔のミカタは、進んでいっていると思う。救われるのは厭だけどあなたが救いたいと思うのならば尊重したいから、とか、犠牲になったもののために、とか、契機も過程も目的も織り交ぜて、まあ、沢山の「誰かの大切にしたいもの」という思惑が絡み合って、覚悟は、複雑に、試されている。楽しい。