世界は称賛に値する

日記を書きます

若干独断専行寄りで

▼独自の道を行け、に近似した指向を示されたなら、まあ、嬉しく思うだろう。敗北確率が増加する可能性は当然ありうるから、確率には注意しながら、戦略を練って、復帰と勝利を目指して、せめて惨敗は避けよう、と、狙って動く。動いてゆきたいなあ、と考えたりする。ま、いくらか動けるだろうとは思うのだ。盲従的な限界の打破が可能なことって意外と沢山あるんじゃないかと感じている、からだ。けど、明確な形で指向を示されたことはない。許される範囲も不明瞭だ。が、許してもらえていないからやりたくない――明確に頼まれていないからやろうとは思わない、とか言うつもりはない。むしろ、やりたいと思っている。依頼がなくてもやってみよう、と思う。思うために書いた。盲従よりはよいだろう――盲従よりはマシなんじゃないかな、と考える人間がいるのも、少数ならばアリだろう。賭ける人間が少数だけであっても別によいとは思う。安全だからだ。ま、逆に限界値は狭まるが、限りある資源なんていつでもありうるわけで、いかに活かすか、ということはいつだって問題になるのだから、文句を言っている場合ではあるまい。常に資源問題はある、ことを使って、苦難を正当化するのは、実際は少し無理があるけど――あまり繋がってないけど、繋がっていると錯覚可能なうちは、利用しちゃえ、って思った。