世界は称賛に値する

日記を書きます

すべての命は等しく尊い、のかな?(最近の独り流行です)

▼等しく命は尊いのです、とかいう姿形で、端的な命を称揚しうる思想があるなあ、とは判断しているのだけど、称揚してよいのかなあ、という違和感もやっぱりあって、完璧な解消は難しいみたいだ。何故なのかなあ、とまた考えていた。難しい。誰の命も等しく尊いのだ、と、信じることと、掲げることと、発言することと、盲従することは、違う。違うだろう。許せないのは、つまり、いかなる様相なのだろう。あと、世界平和のために命を賭したりすることと、誰かに対して「君は駄目だなあ」と言い放ってしまうことは、わりと同じ俎上に乗せてもよかったりするんじゃなかろうか、なんてあたりを注視中だったりもする。世界と自分を比較して命を捨てる覚悟を決めることと、普通の人生と君の人生を比較して「君のは駄目」とか言ってしまうことの、違いは、何なのだろう? 同じだとか言いたいわけではない。比較自体はアリなのかどうか、を考えているのだった。