端的な存在よりは意志的な存在を

▼端的に「ただ生きていること」が正しく美しい、とかいう立場は、あんまり好きじゃなかったりする、んだと思う。明日も生きることが当然、という雰囲気に、何となく抗おうとしてしまう理由は、このあたりにあるんだろう。好きじゃないというか、可能な限りは推奨したくない。誰かを追い詰める印象があるからだ。追い詰めている姿が厭だった気がするからだ。▼あと、人間の「意志」を評価したいのだと思う。端的な存在を認めるよりは意志や決意を評価したい、とは以前から考えている。意志など幻想だ、という可能性を認めてもなお、宗旨替えはしたくない。意志しか人生を輝かすものはなさそうだけど、とか自分の人生に対しては純朴に感じてしまう、ことの、余波なのかな、とは考えている。