認識リズムと倦怠を潰すための自動的ゆらゆら装置

▼雲と光の濃淡が紺色と灰色を紡いでいる。野球少年の声が響く。現在進行形と現在形で書いてみた。現在形と過去形を交互に書くと文章が綺麗になる、という話さえ聞いたことがあって、人間の認識リズムというのは、進行中と少し過去の判断を行ったり来たりしているものなのかなー、なんて考えていたりもする。地平線の光は時とともに拡がってゆくのだろうか。なんて、疑問文を織り交ぜるのが効果的な場面だってあるだろう。認識は平坦ではないのだな、と理解してよいのかな。慣れると飽きてだれてしまう。という人間の特徴から洞察するなら、まあアリかな、とは感じる。慣れて飽きてだれる、を防止する策として、人は認識にリズムをつける癖がある、という仮説は、わりと説得可能なものではなかろうか。現象として正しいかどうかも考える。▼起床時刻は午前6時。勤務開始は午前9時。特筆する締め切りはない。最近はスケジューリングが雑だ。狙いを絞れていないのが原因だろう。混乱しているなあ。根本的な変革を狙うくらいはしよう。時間をかけてもよい。着実、堅実、あたりの言葉が拡げてくれる世界を改めて思い知る時だ。