世界は称賛に値する

日記を書きます

とらドラ7!(竹宮ゆゆこ)

とらドラ!〈7〉 (電撃文庫)

とらドラ!〈7〉 (電撃文庫)

ゆんゆんと手乗りタイガー

▼漫画『フルーツバスケット』登場のゆんゆんこと草摩由希と、小説『とらドラ!』の手乗りタイガーこと逢坂大河は、わりと似ているかも、ってぼんやり考えていた。似ている印象はある。けれど、慟哭の種類は違う気もしていて、違和感もある。詳細を比較するといろいろ違うわけだから、同じじゃなくて当然ではあるんだろうとも思うけど、ならどう違うんだろ、とか考えていたのだ。酷似と齟齬を見極めたいとか思っていたのだった。
▼思索結果としては、よくわからないなあ、と結論してしまった、というか、結局全然違うかも、とか思うようにすらなった。強いて比較するとどちらが悲痛か――自分にとっては悲痛に見えているのか、ということすら、わからなくなってくる。まあ構造は似ていると思う。肯定してくれる誰かに出逢い――認められて立てるようになった、というところは似ている。でも、ほかはかなり違うよな、と思ったのだった。渇望の種類も、肯定の種類も、混乱の種類も、変化の種類も、状況や意識の形に自覚的かどうかも、欲していたものも、環境さえ、違っていた。誰かからの肯定が欲しくて、親の愛のようなもので、獲得して、変化したことだけが、似ている。ただ似ていると思う。
▼やっぱりかなり違うのかもなあ。似ていると言っていいのかすらわからなくなった。渇望の種類が違うなら精神としては別のものだよなあ、とかも思ってみた。簡潔に言うならば、ゆんゆんは「あなたは大切な人です」と言って「己の重要性を認識させてくれるような愛」が欲しかったのだと思うけど、大河は「オマエはちゃんとやってる」と言って「自分という存在を見てくれる人」が欲しかっただけなんじゃないかと思うのだよな。なんてことを考えている。ま、非常に逢坂大河贔屓の試行錯誤だよなとは言ってよい。