とらドラ7!(竹宮ゆゆこ)

とらドラ!〈7〉 (電撃文庫)

とらドラ!〈7〉 (電撃文庫)

 この深すぎる傷を、深すぎる孤独を、覗き込んで感じたのは恐怖に近い心地だった。絶望にも似た、底なしの闇だった。
 どうしよう、と。
――P.153

 遠くに行く奴の姿が見えなくなるのは構わないのだ。同じ道を離れていく奴の、己の道を進もうと決めた奴の背中には、愛と敬意を込めてさよならを告げたいとも思うのだ。ロマンチックに「想い」なんてモノを信じていれば、いくら遠く離れても大丈夫なのだと竜児はもう知っている。
 だけど。
 数十センチの距離で今もきっと苦しみ、もがいているのに、この手ではどうすることもできない奴のことはどうすればいいのだろう。せめて助けてと叫んでくれれば――そのいまだ血を流す大きな傷に、本人が気づいてくれれば、なにかが変わるかもしれないのに。
――P.155

《★★★★》満足!
▼最高点は避けてみた。あえてである。続刊があるからだ。よりおもしろくなるだろ、という意味を込めている。最高点をつけたかった、ということも意味している。▼誰かを幸せにしようと思うことに対して「おこがましい」と判断してしまう価値観も、まあアリだとは思っている。けれど、誰かをふと幸せにしてしまっている、ことについては、いかに考えるべきなんだろうか、と思った。おこがましいとか話したいわけではない。▼何と言うかなー。幸運にも相手を意識せず「幸せにしちゃってる」状況っていうのは、通常、かなり持続が難しいものだろうなと思うのだ。けど、おこがましくはないとも思うのだ。なら素敵とは言えるのかな? あるいは、おこがましくなくても駄目ではあるのかな? ならいかにすりゃいいんだろうか。というようなことをどうしても考えてしまうのだ。▼我知らず「救い」になっちゃってて、けれど誰も――当人も意識していなくて、曖昧で薄氷な契機であっさり瓦解するようなものに「なっちゃっている」関係、というのを、いかに扱えばいいのだろうか。おこがましいとか何とか言っている場合でないのはわかる。まあわかるけど、ならどうすりゃいいんだー、って思うのである。▼構成が図抜けて巧いというのは、やっとわかった。サンタへの縋りと竜児への縋りの切り口/語り口とか、絶妙なのだと思う。いや、最初の数巻だけで諦めてしまわなくてよかったー、とはもう死ぬほど思っているな。けど、最初のほうも、読み返すと、物語の準備は着々と整えられていたようなので、ただ読み取れてなかっただけかー、とも思わされて、唸りたくはなるけれど。