世界は称賛に値する

日記を書きます

別れは寂しいけど、寂しがっていても駄目かも

▼睡眠時間は少なめかな。昨夜は飲み会だった。というか送別会だった。酒の影響はほぼない。あんまり飲んでいない。繰り返し問うているけど、別離は寂しいことだろうか。寂しい、と今は感じる。判断なしで寂しいと感じてしまう。別離が厭なのだろう。楽しいことだから――楽しいことは、終わることなく変わることなくずっと続くとよいのに――幸せなのに、とか思っているのだ。思うだけの世界観があるのだ。だから、避けたがってしまっている。▼楽しい今が続け――続けば、ずっと楽しいよね、とか判断可能な世界観が構築されているんだろうと思っている。という世界観は、正しいだろうか? と以前から続けて自問してもいる。ずっと、不思議にも思っているのだ。なぜなら、人間は飽きるからだし、環境や性格が変化して嫌いになることだってあるからだし、繰り返しの中だと人は時おり腐っていくからだし、要するに、続くことが無謬で完全な「良さ」だとはまるで思えないからだ。逆にさ、別れが幸せを連れてくることだってあるじゃん、とかだって思うのだ。▼別に別離を称揚したいわけではない。ただ、楽しことがなくなるのは厭! という瞬間的で驚異的なびっくり反応に耐えられずに、微妙にズレた形で世界を見るようになってないかな? という疑問を覚えてしまっているだけだ。▼でもって、もしも修正が利くなら、修正するのもアリなんじゃないかなー、って思っていたりするだけだ。まだわからないけど、別離に対して、変に難癖つけているよりは、楽しくなる印象はある。粗雑な推測なので実際はたいしたことないかもだし、逆に楽しくなくなってしまう可能性もありうるけれど……。目測を誤ると、誰に対する思い入れも捨ててしまえ、なんていう楽なところに進んでしまいそうな雰囲気もあるので、違うからな! ということは、現時点でもう警告をぶつけちゃっておこう。取捨選択や無感動とは違う、はずだ。