とらドラ5!(竹宮ゆゆこ)

とらドラ! (5) (電撃文庫 た 20-8)

とらドラ! (5) (電撃文庫 た 20-8)

「あたしはね、前から大人なのよ。でもまあ、変わったところもあるかもね。……少し、考えたの。考えて、変わりたい――変えたい、って思ったところもあるのよ。……自分の、いろんな部分を」
――P.173

《★★★★》
▼誰かが誰かの幸せを願うのはかなり好きだ。相手の幸せを願うことが傲慢を孕みかねない可能性と危険性を理解しているならなおさら好きだだし、にもかかわらず諦めないって覚悟を決めているならなおのこと好きだ、とか言えたりもする。▼物語の匂いが、少しばかり粗雑な「思いやり」を匂わせているのは、ほのかに感じていたりする。おかげで、苦言として思ってしまうところもある。若干雑じゃないかなー、なんて思ってしまう、のである。けれど、不満に思っている粗雑な思いやりが、描かれた結果のものなのか、滲んだ結果のものなのかは、よくわからない。物語的な展開の問題なのか――執筆者の心性の問題なのか、は、まだ判別できていないのだ。まあ高須竜児は現実世界の高校生だから、経験から言って、多少乱雑な「誰かの幸せを希うこと」をしていたりしていても、際立った違和感を覚えたりはしない。物語の序盤戦に置いてもよい程度にはありうることだと思うし、だから、別に最初はこのあたりにいたっていいよねーとも思う。でも、ずっと「粗雑な思いやり」のところにいるとなると、話は別かな、とも思うのだ。▼簡単に言うと、高須竜児の判断が、時に、わりと考えなしに見えることがあって、あまり好きじゃなかったりするのだけど、若いしつまり経験不足なわけで未熟なんだし……、って思って許せたりもしていて、でも、ずっと「考えなし」なままで、物語が進んで、最後は、ただ「物語としての綺麗な終わり」のために、美しく幸せな閉幕を迎えたりしたら、ちょっと納得いかないよなー、とかって思っているのだった。▼何と言うかなあ。高須竜児にも逢坂大河にも、苦悩があるわけで――だから苦悩をちゃんと描いて欲しいと思ってしまっていて、軽薄な思いやりなんかで、なおざりに解決されたりしたら、興醒めなんだよなあ、なんて表現できるかな。ま、こういう物語を好ましいと感じてしまうんですよー、と言っているだけではある。▼閑話終わり。順当にはっきりおもしろかった! ということは冷静に記述しておかねばだ。おもしろいはおもしろい、のだ。現状は問題なくしっかり楽しくてわくわくできている。だから結局、以後の展開によるってことなんだろう。まだまだ単に苦悩が描かれているだけだもんなあ。現状の展開だけで評価するのは難しい。別に苦悩を正面から乗り越えるんでも、あっさり無視できるようになるんでも、君がいるから頑張っていけるとかってなるのでも、あるいは、最後は押し潰されて絶望したり反逆したり堕落するのでさえ、別によい、とか思っていたりはする。するのだけど、苦悩についての理屈がずぼらなのは、厭なのだ。厭だなあ、ってどうしても思ってしまう。おもしろいだけに許せない、という雰囲気なのかもしれない。▼学園モノの文化祭編、ってなところで、逢坂大河の父親登場編でもある。なるほどー、って感じだった。▼物語速度はもう少し速くてもいいと思うのだけど、駄目なのかな。わからないなあ。こういう物語は結局こういう速度が合うのかね、って思ったりもする。巧くシミュレーションできていない気もするし。でもなあ。どうだろ。簡単に言うと、登場人物各位、もう少し、台詞が多くてもいいんじゃないかな、とか思うのだよね。含みのある、伏線的な、行動や表情の描写でも、いいと思うし。あ。なるほどね。要するに、情報が足りないぜと感じてしまっているのだな。