世界は称賛に値する

日記を書きます

四季 夏(森博嗣)

四季 夏 (講談社文庫)

四季 夏 (講談社文庫)

 無駄な話でも、話すという行為に意味がある。言葉を交わしている、つまり送信と受信が可能である状況を確認する意味はある。
 人は、話すことで、通信の確認をしているのだ。
 あるいは、手を握ったり、躰を寄せ合ったりするのも、これと同じ確認作業なのだろうか。
 そういうことか。
 何故、こんなに人はコミュニケーションを欲しがるのか、しかも、話したがっているように見えるのに、その実は、話のほとんどを認識していない。内容をすぐに忘れてしまう。話だけではない。歩いたり、食べたり、人と会ったり、すべて、結果ではなく、過程に価値を見出そうとする傾向にある。
 こういった人間全般に関する傾向を、これまで四季はほとんど問題にしなかった。自分には関係のないことであって、それは、つまり木の葉がどのように風に舞うのか、川の流れがいかにして砂を運ぶのか、といった問題よりも考える価値のないものだと思えたのだ。法則性が見出せない対象の平均的な傾向を把握したところで、汎用的な価値は生じない。
 おそらくは、これも自分自身を確認する行為に帰着するのだろう。他人をこれほど意識したことは、かつてないこと。他人にこれほど依存しようと欲したことも、一度もない。
――P.195